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静岡の大地(16)狩野川の流域(その1) 2022年9月5日


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 伊豆半島の狩野川は、太平洋側にある河川の中では珍しく北へ向かって流れている川である。それは、伊豆半島が元々は南からプレートに載って移動してきた島であり、マグマを多く含む火山島で比較的軽いために本州の下へ潜り込むことができず、本州に衝突して隆起し始めたことに起因する。隆起した山塊は天城山となり、そこから流れ出る川が北へ向かっている。

 天城山(あまぎさん)は伊豆半島中央部の東西に広がる山であり、天城山は連山の総称で、天城連山や天城山脈と称され、日本百名山の一つとなっている。伊豆半島最高峰の万三郎岳(ばんざぶろうだけ、1,406m)、万二郎岳(ばんじろうだけ、1,299m)、遠笠山(とおがさやま、1,197m)などの山々から構成される。東西の山稜部は富士箱根伊豆国立公園に指定されている。

アマギアマチャの花 薬草園提供

 天城山は第四紀の成層火山である。80万?20万年前の噴火で形成され、火山活動を終えて浸食が進み、現在の形になった。天城山は多雨地帯にあり、「雨木」という語が由来であるとする説がある。また、 葉に多くの糖分が含まれているアマギアマチャ(天城甘茶 学名: Hydrangea macrophylla var.amagiana)が伊豆の山地に多く自生しており、この葉を乾燥した甘茶を薬用や仏事に用いる風習がこの地方にも残っていたことから、それが天城山の名になったのでは、という説もあるという。

 天城山から流れ出る狩野川とその流域は、国土交通省の説明によると、大小の支川を合わせながら北流し、田方平野に出て、伊豆の国市古奈で狩野川放水路を分派した後、箱根山等を源とする来光川、大場川等を合わせ、さらに、富士山等を源とする柿田川、黄瀬川を沼津市、清水町にて合わせ沼津市において駿河湾に注ぐ。また、流域の沼津市、三島市、清水町は湧水にも恵まれており、各地で湧水や環境の保全などに取り組む住民活動が行われている。

狩野川流域 国土交通省による。

 2022年7月8日金曜日、天城学長会議に出席するために出かけたが、その機会に津波対策としての沼津の水門を視察し、狩野川放水路資料館で狩野川水害のことを取材、狩野川上流の女橋、男橋を見て天城ホームステッドに夕方到着した。その日、安倍元首相が奈良で演説中に銃撃されて亡くなったニュースを集まった学長たちがロビーで見つめていた。

 今回は上記の狩野川流域を囲む周辺について視察したことをまず述べたい。最初にくわしく見たのは狩野川河口の右岸にある沼津港大型展望水門「びゅうお」である。「びゅうお」の海側には沼津港があり、突堤に沼津港の灯台(沼津港外港西防波堤灯台)がある。「びゅうお」の東側が沼津港の内港、北側には港口公園から「文学の道」が伸びて千本松原へと続いている。「びゅうお」の西側には駿河湾が広がり、南側には遠く西浦の海岸が左右に長く見えていてその右端が大瀬崎である。

「びゅうお」の全景

「びゅうお」から南を見る。

 この沼津港大型展望水門は、沼津港に高くそびえる巨大な建造物であり、東海地震の津波対策の一環として2004(平成16)年に完成した水門である。津波を防ぐ扉体(ひたい)は、幅40m、高さ 9.3m、重量406tという日本最大のもので、制御設備は地震計と連動しており、現地の地震動が一定の値を超えると約5分で自動的に閉鎖される。地上30mに展望施設が併設されており、富士山や箱根連山、沼津アルプス、大瀬崎を見渡せる。また水門の近くでは魚市場の様子、往来する船が見られ、水門の心臓部である巻上機などを見学することもできる。夜には水門がライトアップされる。

 展望施設はさまざまにデザインされている。「トリックアートゾーン」には深海魚をテーマに壁面とエレベーター内に展示があり、深海を体験する。絵に入り込んで写真を撮る。また、沼津港の年表があり、歴史がわかる。「びゅうお」の仕組みがパネルで紹介されており、めったに見られない水門の開閉映像も流れている。とりわけ私は「沼津Barエリア」の展示に注目した。沼津のBAR文化とBARマップが壁面を飾っている。まだ体験したことはないが、沼津の街にこれほどたくさんのバーがあるとは、さすが港町として栄えた歴史の生み出した文化であると思った。機会があったらぜひ行ってみたい。この展示のある場所にはカウンターテーブルが設置されており、沼津港一帯が見渡せるが、夜は夜景を楽しむことができるという。

沼津市内にあるバーが紹介展示されている

深海魚を釣る。

 昼食にはせっかく沼津に来たらやはり寿しを食べなければと双葉寿司に行った。たくさんの客がいて30分ほど待ってようやくカウンターの隅で美味しい握りを堪能した。その後、国土交通省中部地方整備局沼津河川国道事務所伊豆長岡出張所構内にある狩野川資料館を訪ねた。1958(昭和33)年9月26日、未曾有の被害をもたらした狩野川台風の記録が残されている。伊豆半島の東岸を北上し、神奈川県三浦半島に上陸した台風22号である。湯ヶ島を中心とする狩野川上流部に記録的な豪雨を降らせ、建設省湯ヶ島観測所(当時)の観測で最大時間雨量120mmを記録した。この豪雨で狩野川は至るところで氾濫し、流域に未曾有の大水害をもたらし、死者?行方不明者は853名に及んだ。
 狩野川資料館は歴史的な災害を正確に伝えるとともに、狩野川水系で実施している河川、砂防事業の重要性を広く知ってもらう目的で設立された。狩野川台風の後の歴史を概観すると、1965(昭和40)年7月、狩野川放水路の完成、1998(平成10)年9月25日、狩野川資料館開館である。この資料館は伊豆箱根鉄道伊豆長岡駅より徒歩約20分、東名高速道路沼津ICより自動車で約30分の伊豆の国市墹之上467-2にある。資料館のすぐ近くに狩野川放水路が大きな口を開けている。この放水路の海への出口は沼津市口野 狩野川放水路で、国道414号線沿いの海岸にある。伊豆半島の西海岸を南下して西へ直角に曲がる場所である。

狩野川台風の被害写真 狩野川資料館の展示より。

狩野川放水路の出入り口(左:江浦湾側、右:墹之上側)

 狩野川放水路は、伊豆の国市の墹之上、狩野川資料館のすぐ横から狩野川を分流し、沼津市口野から江浦湾にそそぐ約3kmの人工水路である。途中に2箇所のトンネル区間を有し、全国の放水路の中でも珍しい構造となっている。狩野川流域の水害を防止する目的で1951(昭和26)年の着工以来、15年の歳月と今の金額に直すと約300億円の巨費を投じて1965(昭和40)年に完成した。分流地点のゲートを開放することにより、1秒間に最大2,000m3/s(25mプール4杯分)の流量を流すことができる。また、流域にはライブカメラが設置されていて、各地点のライブカメラ映像のほか、水位、雨量を見ることができるように沼津河川国道事務所のウェブサイトで中継されている。

狩野川のライブカメラの映像例

 道の駅「伊豆月ヶ瀬」に立ち寄って、夏蜜柑、わさび若布を買った。珍しい南瓜などの農産物がたくさんあった。天城山へ登っていく途中で狩野川の起点である伊豆市湯ヶ島の出会い橋に立ち寄ってみた。浄蓮の滝から流れる男性的な本谷川にかかる「男橋」と水が多く昔は女子だけが泳いだという女性的な猫越川にかかる「女橋」があり、同じ形をした2つの橋が出会い橋である。2つの川が合流する付近にあることから名付けられた。男性は男橋を、女性は女橋をわたり、向うから来た人が運命の人になるといわれている。川が合流する中州には、見る位置によりハートの形に見えるモニュメントがあり、フォトスポットとなっている。6月のシーズンには蛍祭りが開催され、11月中旬~12月上旬には、紅葉が美しいという。

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女橋と男橋の位置と橋の写真

出会い橋の由来(左)と橋の上から見た渓流 

 この日の行き先であった天城ホームステッドは伊豆市冷川、富士箱根伊豆国立公園内に位置する日本IBMの宿泊型研修施設である。1968(昭和43)年に設立された施設で、ロビーから冬は富士山、駿河湾、相模湾が一望できる。雄大な自然の中でさまざまな議論をする場所として生まれた。業界の枠を超えた交流が行われており、この日、私は「天城学長会議」の世話人の一人として、早めに現地に到着して全国からの学長たちをお迎えした。この会議は国立、公立、私立の大学長たちが集まることのできる日本で唯一の学長会議である。

 今年、第39回天城学?会議の主題は「高等教育におけるジェンダーギャップを考える?「世界に伍して」上位職の女性を増やすために?」であった。イノベーションを生み出すため、これからの社会を変革していくためには、ダイバーシティが重要である。ダイバーシティとインクルージョンの重要性は、最近とみに声高に指摘されている。ダイバーシティは、社会においてさまざまな異なる立場にある人々を指し、インクルージョンは、社会全体をより良い方向に導いていくためにそのようなさまざまに異なる立場の人々の考えや必要をあまねく俎上に乗せ、包摂していくことを指す。

 このような書き出しで始まる趣意書をもとに、女性の学長10名、男性の学長34名が集まって2泊3日で議論した。“一昔前は、「立場の異なる人々」としてまず取り上げられた2022年5月10日に発出された教育未来創造会議による第一次提言にも「女性活躍」「女子高校生の理系選択」あるいは「女性の学び直し」といったフレーズは入っているものの、大学の上位職に女性が一定数の割合で進出し、重要な意思決定に参画する必要性には言及がない。現状では裾野を広げることがまずは重要であることは論を俟たない。その有効な方策をさらに具体的に練っていくことも必要だ。他方で、大学における上位職の女性割合について、このような提言に盛り込まれることは皆無だ。今、日本の学術?文教政策は「世界に伍して」卓越する大学の躍進を目指しているのではないか。であればなおのこと、女性学?を含む上位職の女性をどうしたら増やせるのかという角度からジェンダーギャップの克服を検討してみる意義はある。日本の大学の風景を変え、「世界に伍する」高等教育とするために、今、学?は何をする必要があるのか。学?だからできることがあるのではないか。天城学?会議の場でともに考えてみたい”と趣意書は結ばれていた。

 女橋と男橋とを渡ってから、私はこの会議に臨み、開会の挨拶を述べた。密度の濃い議論の中でさまざまな考えを聞いた。基調講演の(1)では、人事院総裁の川本裕子さんの話を、 基調講演(2)では国立研究開発法人科学技術振興機構シニアフェローの渡辺美代子さんの話を聞いた。議論の中で、私が一番印象に残ったことは、「例えば、大学教授を公募するときに、女性を優先的に採用するという条件を入れる場合があるが、それは女性に失礼ではないか」という疑問に対して、世話人の一人である髙橋裕子津田塾大学長が「もともと日本では男性に関してゲタを履かしており、それも高いゲタを履かしているのだから、大いに女性優先の条件を入れていいと思う」と言われたことであった。なるほどと納得してその意見を聞いた。

 狩野川流域のことはさらに取材を進めておいて続きを書きたいと思っている。
尾池和夫


下記は、大学外のサイトです。

国土交通省 狩野川の主な災害
https://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/0501_kanogawa/0501_kanogawa_02.html

JAF(日本自動車連盟)【写真で解説】狩野川台風の記録
https://jaf.or.jp/common/area/2020/chubu/shizuoka/local-news/0610-02

しずおか河川ナビゲーション
http://www.shizuoka-kasen-navi.jp/html/ota/index.html


静岡新聞「まんが静岡のDNA」の記事でも静岡の大地を紹介しました。
https://www.at-s.com/news/article/featured/culture_life/kenritsudai_column/700397.html?lbl=849

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